私が子ども食堂をやりたいわけ
私は兵庫県伊丹市立花里小学校、松崎中学校、県立伊丹西高校を卒業しました。
もう、だいぶん昔です。
そのあと、大学に行ってアルバイトで塾の講師を始めたのが教育業界にたずさわるきっかけでした。
10年講師業をやったあとは家庭教師派遣センターや教材の販売、研修会社などを経験してインターナショナルスクールの校長もやっていました。
途中、いくつもの思い出の中にこの子ども食堂につながる出来事があります。
当時、家庭教師派遣センターの会社を運営しているときに自分も家庭に赴き営業をしていました。
その時にたまたまとある刑事さんの家に営業に出かけていき、そこのお父さんが私に家庭教師を依頼するのではなく、「罪を犯した少年たちに少し話をしてもらえないか」と言われたことがきっかけでした。
特段私が彼らに話す内容など持ち合わせていないのですが、彼らの話を聞いてもらえるだけでいいので私が彼らの話し相手になって、少年院から出てくる子供や、観護施設から普通の生活に戻る子どもたちの話を聞いてもらいたい、という仕事を仰せつかったのです。
2年間この仕事をつづけました。
彼らの話を聞く機会に恵まれましたが強烈な印象はすべての子どもたちが両親から「おまえなんか生まれてこなかったほうがよかった」とか「おまえなんか生むんじゃなかった」とその存在を否定された言葉を投げかけられているのです。
ここに犯罪の原点があると思ったのでした。
子どもにとって父親や母親は絶対的な味方の存在です。
そんな一番近くの、一番近くから愛情を注がれる人から、「おまえなんか生まれてこなかった方がよかった」などというネガティブワードを話されるのです。
それも1回ではなく何回も何回も!
家庭教師をつけてもらえるどころではなく、今日のご飯もなく、風呂も入れてもらえない、その上、「おまえなんか生まれてこなかったらよかった」と言われる子どもたちはどのように育つのでしょうか。
彼らが犯罪に手を染めるようになることにはそれほど時間がかかりません。
そんな子供たちとかかわる仕事はある種私にとっても過去に経験がなく、どのように接したらわからないことだらけで、話す内容もなく、彼らの話を聞いて少しでも役立つ何かを伝えることを考えながらの2年間でした。
彼らと会って帰る夕方、帰り道は負のオーラを体中に浴びて私が犯罪を犯しそうになるくらい苦しい時間でした。
信号待ちの時に吐きそうになったことを覚えています。
私は、① 幼少期の「愛情」、 ② 成長期の「教育」、③ 成人してからの「経済的自由」がないと人生はうまくいかないと思っています。
その年齢ごとに必要なものは変わっていきます。
「教育」が大事であることは深く理解していましたが、「教育」を育む以前の幼少期の「愛情」は欠けてしまうととんでもないことになるかと思っています。
私が子ども食堂に携わってみたいと思う理由のひとつに、事業家として初めた教育事業の中で、少年院から出てくる子どもたちから教えてもらった幼少期の「愛情」の大切さを伝えたいのです。
何らかの方法で日本中の家庭で少しでも愛情を降り注いでもらえる子どもたちを増やせないかと思い子ども食堂に参加しようと思ったのです。
寝る前に、お父さんやお母さんが「パパは〇〇ちゃんが一番大事でいつも思っているんだよ!」や「ママは○○ちゃんが世界で一番好きなんだよ!」とハグしてあげることにいくらのコストがかかるのでしょうか。
子どもに対する愛情を表現すると、子どもはきっと安心して眠れると思います。
愛情を感じた子どもはきちんと成長していく道を歩むことかと思うのです。
この「ハグ活動」をするだけでマスコミを騒がす親が子供に対する信じられない痛ましい事件を減らすだけでなく、子どもが安心して育っていくのではないかと考えるのです。
少年犯罪が減ることを望んでいますがそれは一番の目的ではありません。
私が望んでいることは日本中の家庭に愛情が溢れかえり、「人生は楽しい」という思いで大人の道に来てほしいのです。
「人生は楽しい」という私の座右の銘を一緒に実現する人たちが世界中に増えることを祈って、そのひとつの方法に子ども食堂があると考えています。
子ども食堂を通じて、ハグ活動が広まり、人生が楽しいと思える大人の世界に堂々と来てもらいたいのです。